感謝・感謝 

クリスマスもいつの間にか終わってしまい、あっという間に年末がやって来そうな今日この頃ですね。

毎年、年末になるとやり残した事がいっぱいありすぎて気分ばかりバタバタしてしまいます。
(欲張りすぎなんでしょうね・・・)

まあ、ここまで来ると結局達成できてない事のほうが多すぎて、
「来年こそは!!」
と気合だけ入ってしまうという、いつもの年末になってしまいました。

来年、父は77歳・母は78歳になります。

自分の姿は自分にはいつも見えていないので、都合よくいつまでも若い気分でいるのですが、
両親の年齢を考えると時々不安になります。

現在、平日の昼間はデイサービスを利用しながら母が”老老介護”で父の世話をしています。

ですが、「母が倒れたらどうなるんだろう」とか、「父が認知症になってしまったらどうなるんだろう」
と考えれば考えるほどどうしようもない不安は募るばかりです。

そんな事にならないようにと今、母は精一杯頑張ってくれています。

私も母に負けないように精一杯、来年も頑張っていこうと思います。


皆さんにとって2007年は良い年でしたでしょうか?

今年一年、おはぎの小さなつぶやきに耳を傾けて頂きありがとうございました。
感謝・感謝です。

皆様にとって、2008年が笑顔あふれる年になりますように。

又来年お会いしましょうv(^o^)v

皆さんは出会った事ありますか? 

私は7年前に初めて出会ってしまいました。
あんな身近にいたなんて・・・

その正体は、借金叔母さんです。

その当時働いていた会社のパートさんで、年齢は50歳目前の人でした。
その事件は、その人が入社してから2週間くらいたった頃の日曜日のことでした。

「ピンポーン」
「はーい」と玄関を開けるとその女性が涙ぐんで立っていました。
何が起こっているのか訳も分からず、とにかく玄関で泣き崩れてしまっているその女性をなだめて部屋に通しました。

その人は、ひとしきり号泣して、ポツリポツリと話を始めました。
こんな話だったと思います・・・

「病弱で働けない主人が急に入院してしまって、私の給料日もまだなのでお金を貸して欲しいの」
「パジャマを買うお金も残ってないの・・・タダでとは言わないから」
と、ポケットから出したティッシュの中にはプラチナにダイヤのついた指輪でした。
(宝石に興味の無い私にはそれが本物かニセモノかは分かりませんでしたが・・・)

これにはびっくり!!
それまで生きてきて「お金を貸してくれ」と言われた事がなかったものですから。
母子家庭だし、きっとお金を持っているようには見えないんでしょうね(笑)
そして確かに、その時家にあったのは封筒に入った支払いの為の数千円でした。

給料日に返却してもらうという口約束で、そのお金と指輪を持って帰ってもらいました。

翌日からその女性は出勤しなくなりました。
2〜3日するとパートさん数人から「彼女は辞めたの?」と質問されました。
話を聞くと「お金を貸したのよ」と、その数私を含め5人。

みんな交代で電話をしてみたのですが、居留守か「お金が今無い」との返事しか返ってきません。
何だか貸した私達が悪いことをした気分になってしまって、最後は”被害者の会”として
みんなで食べ放題に行って諦めました。

後で聞いた話なのですが、その女性はパチンコにはまっていて、一度始めると途中で止める事ができなくなり、台にタバコを置き、パチンコ店から歩いて顔見知りの家に借金を頼んで回って、借りたお金でパチンコを続けていたという事でした。
最初からだまそうと思って近寄ったのだと思うとショックでした。

性善説を信じている訳ではありませんが、それまで出会った人達はみんな優しい人達で
私は幸せだったんだなぁとつくづく感じた出来事でした。

年齢とともに環境の変化や新しい人との出会いも減ってきて、変化の無い毎日を過ごしています。
来年の新しい出会いを期待しつつ、これまで出会った人たちに感謝をこめて
今年も年賀状を書かなくてはと思う今日この頃です。
(って、筆不精な私は今年もまだ年賀状を書いていないので、元旦には着きそうにありません・・・)

 

私が小学生の時に住んでいた近所に全盲のご夫婦が住んでいました。
ご夫婦で鍼灸院をしていました。

そのご夫婦には就学前の女の子が1人いて、私が学校から帰るのをいつも待っていました。
私が帰ると、「お姉ちゃん、遊ぼー」と走ってきたものでした。

小さい子が好きな私は、よく一緒に遊んでいました。

女の子の両親もとても優しい方でした。

ただ、小学高低学年の私に「夫婦に障害があるからこの子を産むのはとても悩んだけど、
産んで良かったと思ってるわ。健康に生まれて来てくれて良かった。」
としみじみ言われた事がありました。

その当時は、それがどんなに大変な事か考えた事もなかったので能天気に聞いていたのですが、心のどこかにその言葉が残っていました。

何も考えずに一度、私の友達の家に女の子と一緒に遊びに行ったのですが、帰ってみると
子供の声が聞こえないからと、ご両親に心配をかけた事がありました。

それからは、遊ぶのはいつもその女の子の家か、家の前にしました。
いつも声が聞こえるように・・・

私にとって普通のことが生活環境によっては通用しないんだと、一つ一つ学んだ日々でした。

私は小さい時から、父の仕事の都合で引越し続きで、その女の子とも2年くらいしか
過ごす事ができませんでした。

最近、年末の大掃除をしていてふとその女の子の家の事を思い出しました。

その女の子の家は、全て女の子の手が届くようになっていて、背の高い家具は無く
最小限の荷物で、子供心にとても広い家だなぁと思っていました。

夕方になり電気をつけた時に、電気のかさに何かぶら下がっていました。
電気も椅子に乗ると手が届くように低い位置にあり、ぶら下がったものを見ると蛇の抜け殻でした。

田舎育ちの私は、田舎の家に蛇が住んでいるのを見ていたし、抜け殻も見たことがあり
「蛇の住む家は栄える」と聞いて育っていたので、何とも思いませんでした。

しかし大きくなると、普通の家にある物ではないんだと思い知らされました。

今の自分の家を目を閉じて移動したり家事をしたり、私には到底できません。
色んな知恵で生活を切り盛りして、育児まで・・・
今更ながらすごい事なんだなぁと実感しています。

父が風邪を引いてしまいました。 

先日、デイサービスから帰った父は、部屋に入ると「寒い」と言って布団に入ってしまいました。

デイサービスでは、熱も無くいつも通り入浴と食事をしたらしいのですが・・・

食事をして数時間経つと、急に気分が悪くなったらしく食べたものをもどしてしまい、
そのまま主治医の所で診察をしてもらったということでした。

布団に入ってもまだ「寒い」と震えているので、熱を測ると37.6℃ありました。

最近本格的に寒くなってきてるので、毎年の事ながら鼻水が良く出ていたのですが、
熱は無かったので「いつの間に風邪を引いたのかしら?」という感じでした。

脳梗塞で倒れてからというもの、父は一年に4回は風邪を引いてしまいます。
冬は周囲の人も風邪を引いてしまうし寒いので、2回は風邪を引いてしまいます。
夏は暑いからとクーラーをつけて冷やしすぎ、夏にも2回は風邪をひいてしまいます。

父は幼い頃から北海道の親戚の家で育ったこともあり、暑さに弱く寒さには強かったのですが、糖尿病の悪化で末梢神経が麻痺してしまっている父は、暑い暑いとクーラーの設定温度を下げてしまうのです。

おまけに寒くなると尿の回数が増え、夜中のおしめの交換が必要になります。
少しでも寒くないようにとハロゲンヒーターを買ったのに、やっぱり風邪を引いてしまいました。
(灯油が値上がりしすぎてストーブを遠慮しながら使っているみたいなので・・・)

倒れる前の父は若い時から、冬でもお風呂を出る時には水をかぶったり
朝から裸で乾布摩擦をしては「元気になるけー皆もすればいいのに」といつも言っていました。

私は寒がりなので、水浴びや乾布摩擦を考えただけでも風邪を引いたりしてしまいそうなのですが、確かに若い時から父は風邪を引いた事がありませんでした。

しかし年々、風邪を引いただけでしんどさが増しているようで、体力が落ちてきているんだなぁと実感してしまいます。

今年の灯油の値上がりで、両親の灯油の消費量がいつもより少ないのです。
末梢神経が麻痺している父は、いつも手足の指先が冷たいので、
起きている時はストーブの前が父の指定席になっています。

ストーブをつけない=部屋が寒い=父は布団に入ったまま?
母に聞いてもそんな事は無いと言うのですが、そのせいかもしれませんね、父の風邪は。

限りある資源だから大切に使うのは当たり前の事ですが、もう少し値下がりしてくれないと
買えなくなる日が来るのではないかと、ちょっとドキドキしています。



会社帰りのバスで・・・ 

バスがバス停に止まり、そこで降りる人が座席を立って出口へ・・・
そこまでは、いつもと変わらない光景でした。

私は、一番前の席に座っていたのでやり取りの一部始終を見てしまいました。

バスを降りようとしているのは、見たところ30歳前半くらいの女性でした。

その女性は、一万円札を出して運転手さんに「すいません、これで千円のバスカード一枚下さい」

運転手さんは、カードとお釣りの入ったかばんを覗き込んでいました。

女性は「すいません、千円のバスカード2枚でもいいんですけど・・・」

そこで運転手さんが一言、「お客さんにお釣りを出すと、次の人のお釣りが出ないんですよね、
次に乗る時には小銭を用意して乗ってくださいね。」とバスカードとお釣りを用意していました。

女性は、急に声を荒げ「じゃけーすいませんって謝りよるでしょ!!」
さらに興奮して「一万円でバスに乗っちゃいけん言う事?」

運転手さんは態度も変えず、「いえいえ、だから次から気をつけて・・・」

女性「じゃけー謝りよるじゃない!!」

最後には、運転手さんも何も言わずにバスカードとお釣りを渡しました。

カードを通して女性はバスから降りました。
しかし、くるっと向きを変えて激しい靴音を立てて、バスに又乗り込んできました。
腹の虫がおさまらないのか、運転席の後ろにある運転手さんの名前を確認していました。

さすがに運転手さんも強い口調で、再度降りる女性に向かって自分のフルネームを連呼。
最後には「分かった?」と言っていました。

バスが発車してもその女性はバスを睨み付けていました。

この出来事に、バスに乗ると直ぐ眠たくなってうつらうつらしてしまう私の目も
すっかり覚めてしまいました。

バスの中には気まずいムードが漂っていました。
心なしか運転も荒くなったような・・・

しかし、次のバス停でお年寄りが乗ってきて座る前に発車しそうになり
よろめいたお年寄りを見て、「大丈夫ですか?」と運転手さん。
さすがに、それからは優しい運転に戻りました。

「切れる」という言葉は好きではないのですが、まさに「プツン」と
音が聞こえたような出来事でした。

みんな疲れていたんですかね?
私も気をつけなくては・・・

大掃除 

去年、両親が障害者専用住宅に引っ越してから、田舎と自宅と両親の住居の
3軒の大掃除をするようになりました。

先日、報恩講を前に田舎の大掃除は終了。
両親の家は去年引っ越したばかりで、あまり汚れてなく簡単に済ませる事ができました。

さて残るは自宅、これが毎年一番大変です。
住み始めて10年以上経ち、捨てられない性格が災いして小物が溜まるばかりなのです。
(お金は貯まらないのにね・・・)

引っ越して子供が小学生にあがるまでは、3部屋あるうちの1部屋で生活していました。
もう1部屋はタンス部屋で(中身は空っぽでしたが・・・)、残り1部屋は空き部屋でした。

しかし、長年生活していると荷物って増えるもんですねー(^_^;)
最近でこそ何も買わなくなってきましたが、子供の成長に合わせて
何かしら荷物が増えてしまっていました。

毎年、右のものを左に、左のものを右に移動しながらの大掃除で
本当に疲れ果ててしまいます。

母も私と同じく捨てられないタイプで、両親の引越しの時にも捨てるものが一杯出てしまいました。

大切なものは人によって違うので、捨てるものは1つずつ母に確認して捨てました。
捨てるものを選別するだけでかなり時間を食ってしまいました。

そんな母も途中から「これじゃ引越しがいつまで経っても終わらん」と言い出し
「どうせ墓場には持って行けんのんじゃし、親戚の人が言いよったけど身内が死んで
一番困るのは、衣服が多く残っとることじゃ言いよったけー、この機会に思い切って捨てよう」。

以前亡くなった親戚の娘さんが「うちのお母ちゃんは洋服が好きで一杯持っとったんじゃけど
人にあげるっていってもサイズや趣味や時代が違うから全部は残しておけなくて、
結局捨てるしかなくってもったいなかったんよ。」と言っていたのを思い出しました。

見ると、母は物持ちが良く、10年前の洋服まで「いつか着るかも」と残していました。

私も洋服こそそんなに持っていませんが、何があるのか荷物が一杯で・・・
「いつか使うかも」と色んなものが押入れの中にあるような・・・

今年も残り少ないので全部ひっくり返す時間は無さそうです。
毎年の事ですが、平生往生ですね。

来年1年かけて、我が家の「いつか使うかも」達を選別しなくてはと思う今日この頃です。

恐るべしインフルエンザ 

今年は過去20年で最も早くインフルエンザの流行が始まったようですね。

去年は、父・母・二人の娘・そして私もインフルエンザの予防接種を受けました。
おかげさま(?)でインフルエンザにかかることなく何とか冬を乗り切ることができました。

もう10年以上前のことなのですが、私の働いていた会社でインフルエンザが流行り
私ももれなくインフルエンザにかかったことがありました。

その時が生まれて初めてのインフルエンザだったのですが、最初の3日間くらいは
熱が高いだけのただの風邪だと思い、会社に出勤していました。
3日目、何だかテンションがハイになり熱を測ると39℃超えていました。

慌てて会社を早退して病院へ・・・
「インフルエンザです」と診断され、その頃まだ”タミフル”が普及していなかったのか
熱冷ましの頓服と風邪薬をもらい家に帰り、そのまま寝込んでしまいました。

その日から40℃近い熱との戦いで、トイレに行くのも這って行くほどでした。
そして又3日過ぎると、子供たちの面倒を見に来てくれていた母にもうつってしまいました。

母と私と二人で寝込んだ為、買い物にも行けず食料が底をついてしまいました。

まだ小さい子供たちに近くの大きなスーパーへ買い物を頼みました。
「卵と牛乳と食パン」これくらいなら買って来れるだろうと思っていたのですが、
歩いて5分のスーパーなのに1時間経っても帰って来ません。

子供たちだけで買い物に行くのは初めてなので、心配になって熱で痛い体に鞭打って着替えようと立ち上がったところで、外から二人の泣き声が・・・

慌てて玄関を開けると、子供たちが泣きじゃくりながら飛び込んで来ました。

「いっぱいいっぱい探したのに、食べるものが売ってなかったー」と、
広いスーパーの半分、食品売り場に行くまでをぐるぐる回っていたらしいのです。

結局、食べ物が手に入らなかったので、友人に電話して食料品を買って
玄関に掛けてもらいました。

その時は、子供たちだけ早めにインフルエンザの予防接種を受けていたからか
運よくうつりませんでした。

今年も父と母は12月に入ってすぐ予防接種を受けました。

私がどうしても通勤の為公共交通機関を利用するので、
どこかでAソ連型をもらってしまうかもしれません。

高齢になった父や母にうつしては大変なので、残る私たちも早く予防接種を
受けなくてはと思っています。

インフルエンザだけでなく風邪の予防には、手洗いうがい、室内の乾燥を防ぐ、水分をしっかり補給するなどを習慣付けて寒い冬を乗り切りましょう。

お久しぶりです、報恩講が無事終わりました。 

田舎の雨漏り事件から、週末は父母と一緒に平日に行く時は、仕事を終え片道2時間かけて私が通い
何とか片づけを終える事ができました。
(疲れ果てました・・・)

父が脳梗塞を患ってからは田舎に帰る回数が一年を通して半分以下になり
年に一度の報恩講で親戚が集まるということで、母は田舎の事が気になって仕方ないようでした。

そんな母は、糖尿病の父の食事の世話と高齢になってきて若い時のように体が動かず
思い通りに片付けが進まない事でイライラ・・・

そして、急にバタバタと忙しくなり寝不足気味な私もイライラ・・・

ついに母と久しぶりに喧嘩してしまいました・・・

喧嘩して意地になり田舎を片付けたので、終わった安心感で溜まった疲れが出たようで
昨日は昼過ぎまで寝てしまいました。

寝不足と疲れが少し解消されると、小さな事で母と喧嘩してしまった自分の心の狭さを改めて反省。

父が脳梗塞で倒れてからは、さすがに父の病状が安定するまでみんな必死で助け合い、
無理をする事など何とも思っていませんでした。

それが最近では父の病状も安定し、落ち着いた毎日を過ごす事に慣れてしまい
24時間無口な父の世話をしている母に甘えていたのだと思います。
そんな毎日の中で、母は介護に疲れていたのではないかと思います。
この年にもなって、小さな事で親と喧嘩だなんて・・・

今日は、母の好きなお饅頭を持ってご機嫌伺いに行ってみようと思います。

最近忙しくて(喧嘩した事もあって)愚痴を聞いてあげていなかったので、まずはそれから始めてみます。

この年になって恥ずかしいのですが、もう少し大人にならなくてはと実感しました。